
戦国大名・武将で真田昌幸、真田幸村(信繁)親子で有名な信州は上田(長野県上田市)に出掛けて参りました。
前回、昨年の10月に一度訪ねるも道に迷ったこと、博物館見学もあって予定した滞在時間では上田城を堪能できないと判断したことで見学を諦めておりました。
今回、まだ旅に出るということは厳しい段階も、家族の理解もあってなんとか実現となりました。

今回は前回の反省も踏まえて場所の確認やら見学箇所等、事前にリサーチ済、ガイドブック的なペーパーものからYouTube等の動画ものまで、慌ただしくも一応チェックしました。

かつての水堀跡

外堀になるのかな?
水堀だったものに線路を敷いて電車が走っていたようです。(昭和2年~47年)

上田城址のメイン的な建物が見えて来ました。
櫓門

水堀・濠

櫓門

真田石



赤い服装のご年配の方が写ってますが小生ではございません。(;^ω^)

ここまでは普通にご紹介しておりますが、テンションが一気に下がっておりました。
(;^_^A
やってもうた・・・( ;∀;)

ガビーン ( ;∀;)
拝観に関わる全ての施設が休肝日(;^_^A休館日
楽しみにしていた博物館も当然休館、テンションが爆下がり、しかも自身のリサーチ不足、ミスを悔やむばかり・・・(´;ω;`)ウゥゥ
毎週水曜日が休館日、見たような見ないような?とにかく残念


徳川家康による攻城戦を2度も退けたこと、落城しなかったことから「落ちない」ということで受験での祈願が多いとのこと。
小生の御祈願は普通に家内安全のみとしました。
西櫓

上田市街地 駅方面



江戸初期、当時の城主である仙石氏時代(仙石忠政)により築かれ残されている。

上田城は真田氏の居城というイメージが強いですが・・・
天正13年(1585)徳川氏との攻防、第一次上田合戦 撃退
慶長5年(1600)関ケ原の戦い・第二次上田合戦 関ケ原に向かう徳川秀忠を撃退
西軍に属した真田昌幸・信繁親子は九度山(紀州・和歌山)へ配流
慶長6年、真田昌幸の子、真田信之が東軍に属していたことから上田領は安堵も堀等は埋められ施設も破却となる。
元和8年(1622)真田信之、信州松代へ転封により代わって仙石氏(仙石忠政)入封
宝永3年(1706)仙石氏が但馬国出石藩へ移封となったことから藤井松平家が藩主となり幕末を迎えている。
真田氏による上田領有は約40年となりますが城址として残されている遺構等は江戸期の仙石氏時代によるものとされております。
無論、その基礎、基本は真田氏によるものではあると思います。
遠野に置き換えるなら、横田城(鍋倉城)は遠野南部氏の居城でしたが、その前の領主、阿曽沼氏が築いた城であったこと、その遺構の大半を引き継ぎ拡張やら強固にしたということですね。

上田市街地には、真田氏縁の人物等を紹介した立札が設けられておりました。

真田家の面々の他に霧隠才三・・・真田十勇士があると思いますが、今回全てを確認しておりません。
午前10時過ぎには上田市入り、4時間は城跡探訪やら博物館見学と予定も施設休館で予定が狂ってしまって城址全て回ることなく半分の時間で上田を後にしております。
(;^ω^)
リベンジにしては不本意ですが、これも仕方なし・・・ということにしました。